この世界には自分と同じ人間は一人としていない。
自分と同じ思考や価値観、環境、境遇、知識、文化など様々な点で異なっている。
そのため、誰も彼もが気が合うということはあり得ないということになる。
何より、自分ではない他者が何を考えているのか・・・どう感じているのか・・・など知るすべはない。
本音を話しているかを知る術はない。
良く観察すると表情や雰囲気として現れてはいるが・・・
それに気付く人と気付かない人がいる。
それもあくまで主観でしかない。
となると、仮に他者が不快と感じていたとしても・・・
それが自分にとって不快でなければ、他者が不快と感じているかなど気にもしない可能性が高い。
他者から厳しく言われたとしても・・・
自分に自覚がないため、言われた内容について理解出来なかったり、腹が立ったりすることもあるだろう。
では、どうすればいいのだろうか?
自分が不快と感じていなくとも他者は不快と感じることがある。と意識しておくくらいしかないのではないだろうか?
他者がどう感じているか?
自分がどう感じているか?
を気付いたり、気付いてもらうことは大変なことではないだろうか?
気付くことが出来ればいいが・・・
気付いて貰えるようにする労力を費やすかどうかだ。
配偶者や家族には気付いて貰いたいと思うはずなので、相当の努力をすると思う。
では、本当の他者はどうだろう?
個人事業主や経営者などは価値観の違いということで関わるという行為をやめるのではないだろうか?
その時間を費やすぐらいなら、別の時間とすることが重要と感じると思う。
しかし、従業員の場合にはどうなるのか?
組織や経営者と価値観が異なれば、自ら退いていくことになると思う。
かなり居心地が悪いはず・・・
従業員と従業員の場合はどうか?
上司や先輩の場合はどうか?
部下や後輩の場合は?
どれだけ嫌であっても業務の一部としてやるしかない。
なんて無駄なストレス・・・
本人がどう感じるのか・・・
や
本人が気付くかどうか・・・
価値観は簡単には変わらない。
他者を変えようとしても変えることは出来ない。
気付いて貰いたくともなかなか気付いては貰えない。
そんなところに労力を費やす必要はない。
無駄にモヤモヤもする必要はない。
他者がどうのこうのというより、自分が他者からやられたくないことをやらない!!
自分がやって欲しいことを他者にやる!!
シンプルにこれが大切だと思う。
それを意識すれば自ずと変化が訪れるのではないだろうか???
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